オートモビル・カウンシルの会場で、国内デビューを飾ったアバルト124スパイダー。プレス発表会に出席した、アバルトのデザインヘッドを務めるルーベン・ワインバーグ氏が、キーノート&トークセッションにも登壇。オートモビル・カウンシル実行委員会代表の加藤哲也氏を相手に、「アバルトのデザインヘリテージ」と題したトークセッションを行なった。

冒頭、加藤氏がワインバーグ氏を紹介した際に、彼の人となりを表わすエピソードが披露された。加藤氏がワインバーグ氏と初めて会ったのは、2016年の春。場所はイタリアはトリノとミラノの間に位置するバロッコ。元々はアルファ・ロメオが所有していたが、現在はフィアット・グループが管理するテストコースがあり、新型アルファ・ロメオ・ジュリアの試乗会が開催されていたのだ。

「そこでトリノからやってくるワインバーグさんと合流して、オートモビル・カウンシルの打ち合わせをすることになってました。ところが彼は、到着するなり予定になかったジュリアの試乗を熱望。テールスライドさせながら喜々として走らせる姿から、彼が根っからのクルマ好き、カーガイであることがわかりました」

そのワインバーグ氏、クルマは幼い頃から大好きだったという。
「それこそパパ、ママの次にフェラーリという言葉を覚えたくらいです(笑)。クルマ好きになったのは、クレイジーなほどのカーガイだった父の影響が大きいですね。子供の頃からF1も大好きで、ご贔屓はもちろんフェラーリ。そこからフェラーリ、ひいてはイタリアのデザインや芸術は特別な憧れ、尊敬の対象となっていきました」

彼はカーデザイナーでは珍しく、アルゼンチン出身である。憧れが高じて、デザインの勉強のために23、24歳でイタリアに渡ったが、その出自は少なからずハンデとなったという。
「ビザを取得するのが大変で、デザイナー以前に学生としてイタリアで学ぶ時点で苦労しましたね。ビザを手にするまでは、目立たぬよう、ひっそりと生活せざるをえなかったのです」
最初はカーデザインではなく、建築を学んだ。
「とにかくクルマが好きでしたから、ガレージをデザインしたり、建築とクルマをからませたいと思っていましたね」
その後トリノのデザイン学校で、広くデザイン全般について学んだという。

卒業後は、デザイン学校の教授の薦めにしたがい、ある会社に勤務。与えられたのはあまりクリエイティブな仕事ではなかったが、パソコンによる3Dデザインの経験を積むことができた。転機がきたのは勤めてから3年後。デザイン学校時代の恩師がフィアットに紹介してくれたのだ。だが、そこでめでたく転職が決まったわけではない。デザインスケッチを携え売り込んでは断られ、3度の面談を経て、ようやくフィアットに採用された。2001年のことだったという。

続いて話題は、いよいよアバルトのデザインヘリテージに移った。往年のアバルトは、フィアットを中心とする既存モデルのシャシーに、ザガートをはじめベルトーネやミケロッティといった名門カロッツェリアの手になるスペシャルなボディを載せたモデルを数多く作っていた。それらが生まれた背景をご存じだったら、教えていただきたいという加藤氏の問いに対して、ワインバーグ氏はこう答えた。

「第一に、アバルトの創業者であるカルロ・アバルトが、美に対して強い関心を持つ人間であったことが大きいと思います。彼は自身が美しく見えるよう服装に気を配り、また美食家でもあったのですが、ダイエットもしていたと聞いています。これはレーシングドライバーとしては、体重が軽いほうが有利ということもあったと思いますが」
スピードへの情熱からアバルトを立ち上げたが、デザインに対する理解力と審美眼も備えていたというカルロ・アバルト。その美へのこだわりが、「自分は技術者」といいながらもデザインに関与させ、さまざまなデザイナー、カロッツェリアとの協働を促したのだという。

そうしたオリジナルボディを持つ往年のアバルトに対して、現代のアバルト各車はボディもフィアットをベースとしている。昔も同様にフィアットのボディを流用したモデルもあったが、今日はそれだけだ。となれば、フィアットとアバルトのデザイン上の差別化はどのようにしているのだろうか。加藤氏の問いかけに、ワインバーグ氏はこう返した。
「それはとてもむずかしい質問です。1949年にアバルト・ブランドをスタートしたカルロの時代と現代では、技術面、経済面をはじめ、あらゆる環境が異なりますし、オリジナルを創るのは非常にむずかしい。ベースがあって、それに変化をつけることであっても、簡単ではないのです」

ちなみに新しいフィアット124スパイダーとアバルト124スパイダーのデザインにあたっては、フィアットとアバルトの双方のデザインチームが、デザインスケッチの段階から協働した。フィアットらしさとアバルトらしさをどう表現するかを話し合った上で、どちらかをベースにするのではなく、それぞれが独自にデザインを進めていったのだという。
「その結果、なかにはアバルトがデザインし、フィアットにも採用された部分もありました。言うまでもなく基本となるボディは双方に共通ですが、エクステリアデザインのコンセプトは異なります。加えて、それを立案し、作った人間の魂も違うのですから、異なる2台に仕上がったと考えています」

デザインするにあたって、ワインバーグ氏は、デザイナーである前にクルマ好きとして、自分が欲しいクルマを思い描くという。

「クルマ自体も運転も大好きですから、デザインするときには走っている姿をイメージしています。加えてアバルト124スパイダーの場合は、オリジナルのフィアット・アバルト124ラリーの姿も思い浮かべました。ですから赤と黒を使い、たくさんスケッチを描きましたね」

カルロ・アバルトの時代のような、オリジナルボディの2座スポーツカーを作りたいかという質問には、こう答えた。
「デザイナーとして、コンセプトカーを作りたいという夢はあります。2座スポーツカーも含め、将来的にはいろんなクルマに挑戦したいですね。それこそシャシー設計から、本当にやってみたいと思っています」

話題は新世代のアバルト124ラリーにも及んだ。2016年のジュネーブショーでアバルト124スパイダーがデビューした際に、往年のワークスラリーカーと同じカラーリングをまとい、エンジンをスープアップした、競技用ベース車両となるアバルト124ラリーも揃ってお披露目されたのだ。

「新しいアバルト124ラリーがWRC(世界ラリー選手権)に出るときには、絶対に見にいくでしょう?」
加藤氏がそう問いかけると、ワインバーグ氏は「見るだけじゃなくて、走りたいですよね」と、カーガイぶりを発揮。
すかさず加藤氏が「そのときは僕も呼んで」と返すと、「いいですよ、いっしょに走りましょう。ただしあなたはコドライバーで、ドライバーは僕ですけどね」と、ユーモアを交えながら返答。会場が穏やかな笑い声に包まれたところで、トークセッションは終了を迎えた。