オートモビル・カウンシルの会場で国内初披露されたマクラーレン570GT。そのデザインを担当したのは、マクラーレン・オートモーティブのデザインマネージャーを務めるマーク・ロバート氏。往年のマクラーレンF1の開発メンバーでもある彼をゲストスピーカーに迎え、オートモビル・カウンシル実行委員会代表の加藤哲也氏を聞き手として、「理想的エンジニアリングとデザインの融合」と題されたトークセッションが行われた。

ニュージーランド出身のレーシングドライバー、ブルース・マクラーレンが、オーナー兼ドライバーとして、1966年に設立したレーシングカー・コンストラクターに始まるマクラーレン。北米カンナム・シリーズやF1で大成功を収めたのち、1993年に初にして究極のロードカーであるマクラーレンF1をリリースした。モーターレーシングがDNAとして組み込まれている、そのマクラーレン・グループから、2010年にスピンオフしたロードカー・メーカーであるマクラーレン・オートモーティブ。英国サリー州にオフィスとファクトリーを構え、レースで培ったテクノロジーと革新的なイノベーションを惜しみなく投入するという方針のもとに、スポーツカーを送り出している。

超軽量カーボン・モノセル(モノコック)を核とするシャシーに3.8ℓV8ツインターボエンジンをミドシップし、プロアクティブ・シャシー・コントロールやブレーキステアといった独自のメカニズムを備えたMP4-12Cを皮切りに、毎年新たなモデルを続々と投入。2015年には“アルティメット”、“スーパー”、そして自身初となるスポーツカーセグメントと謳った“スポーツ”の3シリーズを揃えるに至った。

その新しいスポーツシリーズのなかでも、(2016年8月時点における)最新モデルである570GT。

「GTの定義についていろいろなメーカーがいろいろな解釈をしていますが、我々は長距離旅行を安楽にこなすスピードと快適さを併せ持ち、わくわくするような乗り味のクルマと考えています。570GTの主たるライバルと想定しているのは、ポルシェ911ですね」
そう語ったロバート氏は、デザイン、空力、軽量化、使い勝手、ハンドメイドによる仕上げのよさ、そしてパフォーマンスという570GTの6つの特徴について解説。その過程で570GTのルーツとなる、ブルース・マクラーレンが1969年に3台だけ作ったマクラーレンM6GTの姿も紹介された。

次いでロバート氏は、自らのキャリアについて語った。グラフィックデザインとテクニカルイラストレーションを学んだ後、彼が最初に職を得たのはイギリス国防省。そこで戦闘機や戦車のデザインに従事した後、1987年にロータス・エンジニアリングに転職した。
「創設者でデザイナー、エンジニアでもあったコーリン・チャプマンはすでに亡くなっていましたが、彼のこだわりはまだ社内に生きていました」

その歴史や伝統は、マクラーレンに通じるものがあったというロータスから、マクラーレンに移ったのは1990年のこと。ブラバムとマクラーレンで数々の傑作F1マシーンをデザインし、鬼才と呼ばれたテクニカルディレクターのゴードン・マレーが中心となって、究極のロードゴーイングスポーツカーであるマクラーレンF1を開発していた時代である。
「マクラーレン・カーズ(当時)はまだ小さな会社で、私は9番目の社員でした。ちなみにボスであるゴードンのヒーローは、コーリン・チャプマンだったんですよ」

入社したロバート氏は、さっそくマクラーレンF1の開発スタッフとなった。加藤氏によれば、「自動車専門誌のスタッフとなって約30年、相当な数のクルマに乗ったが、ドライビングした感覚が忘れられない1台がマクラーレンF1」だという。ABS、パワーステアリング、トラクションコントロールといったドライバーをアシストする装備は一切なく、ひたすらドライビング・ダイナミクスを追求したスーパーカー。持てる性能を発揮できるかどうかはドライバーの腕次第だが、そのポテンシャルはとてつもなく高い、“20世紀の高性能スポーツカーの頂点”という開発テーマを体現したモデルだった。

その特徴のひとつが、市販車では非常に珍しいセンターステアリングである。
「私が開発メンバーに加わったときには、すでにセンターステアリングが決定していましたが、アイデア自体は昔からゴードンの頭にあったそうです。それで最初はシングルシーターを考えていたのですが、それではあまりに社会性がない。少なくとも2人乗りにすべく検討した結果、最終的に運転席にオフセットした助手席を2つ備えた3シーターになったんです」

マクラーレンF1の開発チームには、さまざまなバックグラウンドを持つメンバーがいたという。
「少数精鋭のチームでしたが、いわゆるスーパーカーの開発をやっていたスタッフもいれば、インディカーやラリーカー、耐久レースのマシーンに関わっていたスタッフもいました。さまざまな経歴やスキルを持つ人間が集ったメルティングポット(るつぼ)から、F1が生まれたのです」

そんなスタッフを配下に抱えたゴードン・マレーは、たとえビス1本であろうとも、妥協を排して理想を追求する人間だった。
「たとえば2週間かけて、完璧に作られた部品があったとしましょう。ゴードンはそれを前に、さらに数グラムでも削って軽量化できないか? と考えるような人なんです。常にチャレンジを心がけていましたね」

そんな完璧主義者だったゴードン・マレーといっしょに働くのは大変ではなかったか?
彼が追求するエンジニアリングの理想と、あなたの考えるデザインの理想がぶつかる瞬間はなかったのか? という加藤氏の問いに対して、ロバート氏はこう答えた。
「ほとんどありませんでしたね。ゴードンはエンジニアですが、デザインやパッケージングにも気を配っており、理解がありました。常にデザインを意識して設計は進められており、チームワークは円滑でした」

続いて加藤氏は、当時のチームの仕事環境について、興味深い質問を投げかけた。
「ゴードンはロック・ミュージック好きとしても知られていますが、職場に音楽が流れていたりしたんですか?」
するとロバート氏は、こう返した。
「ええ。ジュークボックスが2つありましたね。彼が大好きなボブ・ディランをはじめ、常にロックが流れていました」

元ビートルズのジョージ・ハリスンら、各界のセレブリティがゴードン・マレーを訪ねてくることもあったという。
「友人を招くのも、ゴードンの個人的なスタイルだったのです。ジョージといえば、彼のリクエストでクルマにギターやアンプを収めるスペースを作ったり、ミステリアスなインドの模様や、ボブ・ディランの歌詞を入れたりしたこともありました。そんなこんなで、仕事というより趣味の世界のような楽しい開発現場で、毎日行くのが楽しみでした。もちろん、今も楽しんで仕事をしてますけどね」

ロバート氏によれば、マクラーレン・オートモーティブは、現在もその頃と同じ情熱を持った会社だという。
「より速く、軽く、高効率のクルマを作ろうと、常に考えています。少数スタッフの家族的な会社だった昔と比べ、規模こそ大きくなりましたが、現在もスタッフ同士は人間的なつながりで結ばれているのです」
とても知的で、話しぶりから穏やかな人柄が伝わってくるロバート氏は、そう語ってトークセッションを締めくくった。