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主催者展示車両について

Lamborghini Miura P400S

もともとフェラーリオーナーだった実業家フェルッチョ・ランボルギーニが、エンゾ・フェラーリに謁見した際の彼の態度に腹を立て、跳ね馬に対抗すべく興したのがアウトモビリ・ランボルギーニである。だからデビュー作の350GTからしてエンジンがV12だったことは当然の帰結といえるだろう。

そんな若いスーパーカーメーカーであったランボルギーニの名声を確立し、一躍スターダムに押し上げたのがミウラである。唯一にして最大の仮想敵であったフェラーリが、創業者の意志を汲んで保守的なフロントエンジン/リアドライブに固執するのをよそに、レーシングカー並みに進歩的なミドエンジン・レイアウトと美しいシャシーを採用。しかもコクピット背後に積まれるV12ユニットは横置きされるという懲りようだった。

設計者は現在世界一のレーシングカー・コンストラクターであるダラーラを後に創業者することになるジャン・パオロ・ダラーラ。先鋭的かつ流麗なデザインはカロッツェリア・ベルトーネが担当した。ヌッチョ・ベルトーネの指示で原案を仕上げたのは当時ベルトーネのチーフだった若き日のジウジアーロ。生産型に仕上げたのは後任におさまったマルチェロ・ガンディーニだと言われている。

若き日のイタリアン・オールスターズが仕上げたマイルストーン的1台である。

Maserati Ghibli



若き天才ジウジアーロがカロッツェリア・ギア在籍時に仕上げた傑作中の傑作がマセラティ・ギブリである。パンダ、ゴルフ、デルタ等々、大衆車の傑作を多く手がけた反面、スポーツカーのデザインは不得手だったとする評があるが、それは明らかな誤り。このギブリやフォード・マングスタ、デ・トマゾ・パンテーラ、同ヴァッレルンガを見れば、彼の多才ぶり、ジャンルを問わないオールマイティーさがよくわかる。マセラティは1963年誕生のランボルギーニは言うに及ばず、1947年を創業年に定めたフェラーリより明らかに老舗。1910年代に産声をあげ、戦前戦後を問わずレースで好成績を挙げ続けた名門中の名門である。それ故ギブリは一過性の流行に惑わされずクラシカルな佇まいを備えているが、古臭く見えないだけでなく、タイムレスな美を湛えているあたりはさすがだ。

長いフロントノーズ下に搭載されたパワーユニットはV8。V12でもミドエンジンでもないが、デビュー当時ミウラと世界最速を争った実力の高さを誇るあたり、いかにもマセラティらしい。

フェラーリがモードだとするならマセラティはクラシコ。ギブリもその典型といえ、パッと目をひく派手さはないが、控えめを旨とする美学に貫かれている。性能面でも非常に高いポテンシャルを誇ることは言わずもがなだ。

Ferrari 365GTB/4 “Daytona”

エンゾ・フェラーリ存命中にマラネロが生み出した最後のフロントエンジンV12 2シーターがこのデイトナだ。365は当時のフェラーリの伝統に則って1気筒あたりの排気量を、4は4カムを意味している。

マラネロが旧態依然とした275GTBに代えデイトナを投入した理由は明らか。ランボルギーニやマセラティ、イソ等に奪われていた世界最速の座を取り戻すためだった。実際新車当時にロードテストを実施した英「Autocar」誌によればこのカバリーノ・ランパンテは実測280km/hをマーク。ミウラの277km/h、アストンDBS V8の260km/hを凌駕した。イソがカタログにうたっていた290km/hの最高速が楽観的すぎることは明白だったから、見事世界最速の座を奪還したことは間違いない。

どこから見ても美しい均整の取れたプロポーションを実現したのは今さらいうまでもなくピニンファリーナ。チーフだったレオナルド・フィオラバンティによるものだ。後に彼が述懐したところによれば、フェラーリから渡されたシャシーではトレッドが狭く、造形上好ましくないためこれを数ミリ拡大して欲しいと、なんとエンゾ本人に直訴したのだという。カロッツェリアが設計に口を挟むのはご法度とされた時代。相当な蛮勇をふるったはずだが、その決意は見事反映された。

モダーン・フェラーリの礎となった史上最も美しいフロントエンジン・スポーツカーの1台である。