“ヘリテージカーを愉しめるショー”が1つくらい日本にあっても良いんじゃないか
ACはどういうきっかけで立ち上げようと考えたのですか?
関:当時、私は57歳でした。それまで自動車メーカーに約23年、広告代理店に11年間勤め、自動車業界や広告業界で経験を積んできていました。最後の広告代理店時代は、東京モーターショーのマーケティングプロデューサーやインポートカーのクライアントを中心に担当していたのですが、自分の34年間のキャリアをどう定年後に活かすか、漠然と考えていました。

関 雅文:AUTOMOBILE COUNCIL実行委員会 共同代表
大手自動車メーカーの営業本部にて中長期の事業戦略の立案に従事。その後ブランド戦略部部長に就任し、国内外の宣伝戦略の統括を行う。49歳で大手広告代理店に転職し、インポートメーカーのプロデューサーを務めてブランド戦略の確立及び東京モーターショー(現モビリティショー)の戦略・運営を担当した。退職後はAUTOMOBILE COUNCIL実行委員会を設立。ACのファウンダー且つ総合プロデューサーとして、独自のビジョンで自動車業界に新しい価値を提供し続けている。
関:そんな折、仕事でフランクフルトのモーターショーに行く機会がありました。当時、モーターショーが世界的に踊り場を迎えていた時期で、前職の上司であるドイツ人達からも「日本は自動車先進国なのに、何故ヘリテージを大切にしないで新車ばかりPRしているのか?将来技術的に中国や韓国のメーカーにキャッチアップされるかもしれない。だけど東アジアの自動車市場で、日本だけが100年近い歴史を持っている。その歴史、成熟したマーケットをもっと真剣に考えた方が良い。」というアドバイスをもらいました。

フランクフルトモーターショーの様子 (出典:フランクフルトモーターショーから世界の自動車事情を垣間見る)
関:その後、ヨーロッパ/アメリカのクラシックカーのショーを見に行ったのですが、新車のイベントよりも活気があり、「こんなショーが1つくらい日本にもあっていいのでは」と感じたのが、ACの基本コンセプトを考えるきっかけになりました。
また当時日本でクラシックカーのレースイベントはあっても、国産メーカーのクルマがどんな歴史から生まれてきたのかをモーターショー形式で足を止めてじっくり見られる場もなかったので、その必要性を強く感じたんです。
最初から事業として始めるつもりだったのですか?
関:60歳から真剣に打ち込めて、社会的意義のある仕事を探していました。やるからには「趣味でやってます」なんて言い訳はしたくない。本気で取り組まないとつまらないし、周りの方々に失礼になると考えてました。特に自動車メーカーに参加をお願いする本格的なイベントをやる以上、趣味感覚で絶対にやってはいけないと思っていました。
だから、「やるからには10年続かなければ意味がない。自動車メーカーや出展者に絶対に迷惑をかけず、ステークホルダーの皆さんから参加して良かったと思ってもらえることをやろう。」と最初から意識していました。そしてそれをやり続けることで初めて日本に新しい自動車文化をつくれると私は信じています。
立ち上げ当初は、1人のプロジェクトとしてACを進めていったのですか?
関:企画を考えることが私の仕事だったこともあり、構想は私1人で考えました。ただしイベント運営は1人では絶対にできません。自動車メーカー時代に東京モーターショーの責任者としてブース出展を経験しましたし、代理店時代は東京モーターショーのイベント全体の戦略立案・運営も担当したので、出展するのとイベントを運営するのとでは全く違う視点が必要であることを熟知していました。ですので、資金繰りや運営の実務を踏まえ、始めからスペシャルなチームを作ろうと考えましたね。
カーグラフィック社の加藤さんと共同代表という形でACを始動させたわけは?
関:企画が出来た段階の次はビジネスパートナーを探すことから始めました。そして、小学校・中学校の後輩でカーグラフィック社代表の加藤君に声をかけました。打ち合わせの時、彼が「関さんと全く同じことを海外のジャーナリストからよく言われるんですよ。
なんで日本はヘリテージを大切にしないんだ!」と話してくれて、意気投合しました。その後、加藤君から「是非一緒にやりたい」と連絡を頂いて、正式にカーグラフィック社と手を組むことになりました。
総合的なイベント企画・運営は私サイドが担当し、加藤君には出展者・車両の取り纏めを主に担当してもらうことにしました。そして、私がまだサラリーマンでサイドビジネスが出来ない立場だったので、第1回目は加藤くんに代表を頼みました。

写真(左):加藤氏 写真(右):関氏 (出典:AUTOMOBILE COUNCIL 2023)
“AUTOBOBILE COUNCIL”のネーミングはどうやって決まっていったのですか?
関:名前は様々な案がメンバーから提案されたのですが、最終的には私が好きな80年代のUKロックバンド『スタイル・カウンシル』から「カウンシル」を拝借し、『オートモビルカウンシル』に決めました。ミーハーですね(笑)。
当初「オトカン」と呼ばれるかなと思っていましたが、業界では「カウンシル」と呼ばれています。
AC のコンセプトに惹かれてプロフェッショナルたちが集結
ACのメンバーの皆さんには、どう声をかけていったのですか?
関:最初にイベント開催をするのにどのような専門性を持ったメンバーが必要かを考えました。そこで私が声をかけた最初のオリジナルメンバーは、私、水谷君、カーグラフィックの加藤君、久保ちゃん、小野寺君、佐野さん、佐藤さん(故人)の7人でした。この7人でACの企画を詰めていきました。
この中で最初に声をかけたのが水谷君。彼はイベントプロデュース会社を経営していて、以前からプライベートでの付き合いがあったのですが、「クラシックカーのイベントを一緒にやらない?」と誘いました。
ちょうどタイミングが合って「やりましょう!」と話が決まりました。水谷君は主に会場設営やイベント現場の運営全般を担当してくれています。
水谷さんは関さんから誘われた時にどんなお気持ちでしたか?
水谷:単純に面白そうだなと思いましたよ。元々知り合いだったこともありますけど、私が『ラ・フェスタ ミッレミリア』というクラシックカーのイベント制作に携わったこともあったので、何かしら力になれることはありそうだなと。
関:その次に声をかけたのが佐野さんです。私が自動車メーカー勤務時代から一緒に仕事をしていた方で、ACでは音楽やトークセッション、ラジオ局との窓口など、プロモーション全般を担当していただいてます。
佐野:私はちょうど定年退職したタイミングだったんですが、それまでは広告代理店でクルマに関わる広告、メディア・PR、イベント、そして社内向け業務まで幅広く経験してきました。
その経験がACの役に立ちそうだと思い、二つ返事で参加を決めましたね。
佐野:立ち上げ当初、企業やメーカーにACのことを理解してもらい、ブース出展していただくまでに1〜3年ほどかかるのが普通でした。
1年目に断られ、2年目にまた説明して断られ、3年目でようやく出展してもらえるようになることもあって。大手自動車メーカーだと5〜6年かかるケースもありました。
でも、何度も足を運んで丁寧に説明し、時間をかけて出展社や関係者に理解してもらったからこそ、今のACがあると感じていますね。
関:小野寺君はACの事務局担当で、イベントの細かな調整や出展車両の準備などを担当してます。たしかちょうど前の会社を退職したいタイミングで参加してもらったよね!
小野寺:そうです、2015年の夏頃です。当時別の会社で働いていたのですが、少し行き詰まりを感じていた時に水谷さんから「クラシックカーのイベントを考えているんだけど、一緒にやらない?」と誘っていただいて。
面白そうですね!と話が盛り上がって、秋頃から本格的にACの準備に関わるようになりました。
小野寺さんはACのイベントで出展車両を購入されたんですよね
小野寺:はい。93年式のローバーミニに一目惚れしてしまいまして(笑)。イベントで実際に出展車両を見ると、その魅力に引き込まれてしまうんですよね。
最終的にはイベントが終わってから出展者のお店に足を運んで購入しました。
小野寺さんと愛車の英国車「ローバー ミニ」の‘93年式
関:あそこにいる石井ちゃんとは広告代理店時代から東京モーターショーの仕事を共にしていました。彼はACの企画書等のまとめ役で、今日いるメンバーの中で最初から古い車を所有していたんですよ。
石井:私は2回目からACの運営メンバーとして参加しています。ちょうど50歳になる時だったと思います。ヘリテージカーを所有して30年になるんですけど。
たしか関さんがそのことを知ってて声をかけてくれたんですよね。会社を退職して個人で独立したタイミングだったので、ぜひやらせてくださいっていう形で参加させてもらいました。
石井:ACのプロジェクトは、とにかくバイタリティとスピード感がすごく溢れるプロジェクトなんですよ。みんなそれぞれプロフェッショナルなので切迫感があって、前に進む力が異常に強く、物事の決定が早い。
イベントはやらなきゃいけないことも多いから、とにかくこの10年間、突っ走ってきたなという感覚がありますね(笑)。
メンバーの皆さんは独立されてる方が多いのでしょうか?
関:そうですね。皆さんメインの仕事でAC以外の仕事を持っています。一匹狼みたいな人たちが集まってやり始めたというイメージかなあ。
田村君も同様で、広告代理店時代に外資系自動車メーカーの新しいチーム編成の時に外部の会社から出向してきた若いメンバーだったんです。
田村:僕が営業セクションの当時若手メンバーで、関さんがマーケティングセクションだったので直属の上司というわけではなかったですけど、プロジェクトの責任者でしたよね。
関さんが定年退職されてから自動車関係のイベントで久々にお会いして声をかけていただいて、それがきっかけでACに参加させてもらうことになりました。
田村:先ほど佐野さんも話していましたが、ACのメンバーは常に「ネバーギブアップ」の精神を持っています。今年がダメでも翌年にもう一度挑戦し、さらに3回、4回と諦めずに続けていく。
その粘り強さをメンバー全員が共有している姿勢から、僕自身も多くを学ばせてもらってますね。
関:そして佐野さんが声をかけてくれたのが石川さん。PR担当として参加してくれていて、確か当時すでに定年退職されていたと思いますが、今でも現役バリバリです。
石川:そうですね、61歳の時だったかな。いや、面白いなと思いましたよ。私は広報/PRの仕事を40年以上やってきたので、何かを伝えることが本業だと自負しています。
石川:1回目のイベントからクルマの文化っていうものに触れたり考えたりするようになってこの10年、クルマの文化ってなんなんだろうって、ずっと考えているんですよ。
説明しようと思ったらこれほど難しいものはないけど、これほど感じてもらいやすいものもないのかなって。とても良い機会を関さんから頂いたと感謝しています。
関:あとは昨年から参加いただいた古田さんも頼もしい存在です。佐野さんのサラリーマン時代の同僚だった方ですが、古田さんは海外赴任が長くて、豊富な経験とノウハウを持っているんですよ。
古田:私は海外での経験が長くて、フランスやドイツなどヨーロッパのモーターショーを見て文化や歴史の重み、人間味のあるやり方を肌で感じてきたんですよね。
私が培ってきたそういう繋がりや経験をACでも活かせると思って参画させていただきました。
仕事で繋がりの深くて信頼できるプロフェッショナルが集結したことが、まさに現代の”七人の侍”ですよね
関:やはり効率よく仕事を進めるには、ある程度価値観が共有でき、仕事感や常識を分かり合える人たちと組むことが大切です。週1回、2時間の短時間の打ち合わせだけでプロジェクトを進めているので、そこが噛み合っていないと中々難しいんです。
また、イベントの立ち上げ時に助けてくたのは、これまで仕事を通じて繋がってきた人たちなんですよね。例えば初回からJ-WAVEさんがプロモーションで協力してくれていますが、これも自動車メーカー時代に一緒に仕事をしていた縁があったから実現しました。これまでの経験・仕事の繋がりや人との関係性が、ACの財産であり生命線ですかね?!(笑)。