自動車レースの起源は中世の馬の早駆け。つまり都市間レースでした。閉鎖されたサーキットではなく、千変万化するコンディションの中走り続けるラリーは、いわばレースの原点。スピードだけでなく総合力が試され、自動車としての真価を問われる、危険な最前線だったのです。そこに宿るのは戦闘美。世界の桧舞台を席巻したラリーカーだけが誇る、緊張感溢れる美しさを、オートモビル・カウンシル2021で堪能してください。その第一弾としてイタリアの雄、ランチアのチャンピオンマシーン達を紹介します。
ランチア・フルヴィア・クーペ 1.6HF
ランチアのレース部門「HFスクアドラ・コルセ」が実戦に用いたワークス・ラリーカー。18台製造されたうち最後の1台で、メッタ/ダウティ組が74年にイースト・アフリカン・サファリラリーに出場し11位でフィニッシュした経歴を持つ。同じクルーで戦った同年のロンドン・サハラ・ミュンヘン・ワールドカップラリーがワークスフルヴィア最後のラリーとなった。その後ワークス活動は完全にストラトスに移行する。独創の狭角V型4気筒エンジンを縦置きするFWDクーペは、若きサンドロ・ムナーリがチェックポイント設営より30分も早く到着し、前代未聞の早着失格になったという逸話を持つほどの俊足を誇った。
ランチア・ストラトス HF Gr.4
まさにラリー制覇のために産まれた「パーパスビルドカー」。1.7×3.7mという特殊な縦横比を持つウェッジシェイプのデザインを担当したのはベルトーネ時代のガンディーニ。ホイールベースに至っては2.2m以下というコーナリングマシーンの開発にはジャン・パオロ・ダラーラが関与した。74、75、76年のWRCマニュファクチュアラー・タイトルをランチアにもたらした名機。今回展示する個体は1981年のスペイン・ラリー選手権、翌82年はスペイン・ツーリングカー選手権を戦い、いずれもシリーズチャンピオンの座に就いた。ストラトスGr.4後期型で、エンジンはクラウディオ・マリオーリがチューンした2バルブのビッグバルブ仕様を搭載している。
photo=FCA Heritage
写真は展示車と同型車
フィアット・アバルト 131ラリー
先鋭的なストラトスに替わるラリーウェポンとして、フィアットグループが次期FXに選んだのはボクシーなファミリーセダン、フィアット131だった。開発を担当したのはアバルト。同社のテクニカル・チーフ、コルッチが指揮し、テストドライバーはジョルジョ・ピアンタが務めた。世界ラリー選手権への出場は76年シーズンの途中から。4バルブヘッドを持つとは言え2ℓ4気筒をフロントに搭載し、後輪駆動するオーソドックスなレイアウトながら、アバルトの魔法をかけられた131は素晴らしい実力を発揮。77年、78年、80年の3度に亘りフィアットにメイクスタイトルをもたらす等大暴れした。展示車は77年のモンテカルロラリーで名手J-C.アンドリュー/“ビシェ”組が2位に導いたマシーンそのものである。
ランチア・ラリー 037 エボリューション2
1982年から採用されたGr.B規定が、ラリーカーの先鋭化を一気に進めた。増大するターボパワーに対処するため、時代は一気にフルタイム4WDに移行するかに見えたものの、ランチアは全く違うアプローチで世界選手権に臨むことを決断する。機械式スーパーチャージャーを採用した4気筒をミドシップするRWD、公道を走るレーシングカーともいうべきラリー037を戦場に送り込んだのである。037は持ち前の運動性能の良さと、ターボラグのないエンジン特性がもたらすコントロール性の高さを武器に、83年のメイクス選手権を見事勝ち取ることに成功する。ここに展示するのは翌年、ランチア・マルティニ・レーシングがエンターした由緒正しきワークスカーの1台。アッティーリョ・ベッテガのドライブでアクロポリスラリー4位入賞を果たした経歴を持つ。