Lamborghini Countach LP400

ザ・スーパーカー。そう呼べるのはやはりカウンタックだ。特に空力的付加物を何も持たないこのLP400のデザインは、ピュアのひと言に尽きる。初代VWゴルフが実用車デザインに大きな影響を与えたのと同様に、ベルトーネのチーフ、マルチェロ・ガンディーニが作り上げた斬新なウェッジシェイプのモノフォルムは、他のミドエンジン・スポーツカーに多大な影響を及ぼした。現代のフラッグシップ、アヴェンタドールでさえ同じフォームランゲージの延長線上にあるのだから、いかにタイムレスな造形だったかがよくわかる。ダラーラが主任設計者だったミウラがV12を横置きしたのに対し、その時彼のアシスタントだったパオロ・スタンツァーニが選んだのは縦置き。LP(Longitudinale Posteriore)はその搭載方法を、400は4ℓの排気量を表している。特異だったのはそのレイアウトで、V12を前後逆にして車両最後端に搭載、その前方にギアボックスを配置する手法を採った。フロントエンジン時代はフェラーリのネガを潰したような保守的メーカーだったランボルギーニを、先端的かつ挑戦的イメージに変えたのがカウンタックだった。




Lamborghini Miura P400

ランボルギーニ初のミドエンジンとして、歴史に燦然と輝くのがミウラだ。トリプルチョーク・ウェバーを4連装した4ℓV12をコクピット背後に横置き。ギアボックスはその下に一体化して配置されている。レーシングカー設計者を志したが、まだ果たせずにいた当時27歳のジャンパオロ・ダラーラならではの理想、重量物を可能な限り車体中心に置いて運動性能を高めることを突き詰めた設計だった。このエンジニアリングの極みともいうメカニズムを包むボディの美しさにも触れずにはいられない。架装を担当したのはカロッツェリア・ベルトーネ。原案のスケッチをを書いたのは当時のチーフ、ジウジアーロだった。しかし彼はそのスケッチを書き上げて間もなくギアに移籍。後任に収まった若きマルチェロ・ガンディーニが仕上げた。ウェッジシェイプ以前のエレンガントな曲線と流線形の融合は、66年デビューでありながら70年代的モダニズムをたたえ、タイムレスな美が宿っている。




Ferrari 356GTB4 Berlinetta Boxer

F1(156)やレーシング・プロトタイプ(250/275LM)でミドエンジン作りの経験を60年代初頭から十分に積んでいたマラネッロだったが、市販V12の市場投入は72年まで待たされることになった。しかし満を持して投入されたベルリネッタ・ボクサー、通称BBは、レオナルド・フィオラヴァンティ率いるピニンファリーナの女神のように美しいボディ、当時のF1同様の180度V12 4カムエンジンが発する380psの大パワー、そして公称302km/hという最高速等を誇り、一躍スターダムに返り咲いたのである。サンターガタ・ボロネーゼの宿敵がミウラをデビューさせた6年後、カウンタックがデビューする2年前のことだった。ミウラが4ℓV12 を横置きしたのに対し、BBの4.4ℓはセオリー通り縦置き。エンジン全高が抑えられる180度V型の利を生かし、5MTをクランクケース下に一体化する基本構造は似ていた。このBBとミウラ、そしてカウンタックの3強が、エキゾチックスポーツカーの性能を飛躍的に高め、スーパーカーブームを強力に牽引していったことは間違いない。




デ・トマゾ・パンテーラ

コクピット背後に搭載されるエンジンはアメリカンV8ではあるが、パンテーラもスーパーカーを語る上で外せない存在だ。たとえばACコブラをアングロ-アメリカンと呼ぶなら、こちらはイタリアン-アメリカン。映画「フォード対フェラーリ」でも描かれているように60年代半ばのアメリカの巨人は、保守的で古臭いイメージを払拭することに躍起だった。フェラーリ買収に失敗した彼らはフォードGT40でルマン制覇を飾り一矢報いるが、生産車で跳ね馬を打ち負かす夢は未完のまま。そこに取り入ったのがアレッサンドロ・デ・トマゾである。チャーミングなミドエンジン2シーターボディをデザインしたのはカロッツェリア・ギアに所属していたトム・チャーダ。安価かつ量産することを盛り込んでエンジンは5.8ℓプッシュロッドV8が選ばれた。販売価格がライバル達の約半分に抑えられたこともあって狙いは的中。フォードの販売網を通じて全米で売られたこともあり、この手のモデルとしては異例のヒット作となった。71年の発売から93年の生産終了まで、23年も生き続けたスーパーカーは他に存在しない。